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クラミジアとわたし |
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「クラミジアという病気なの。知ってる?」
そのときわたしは19歳で、OLをしていた。まだ若い女性の医師に問いかけられて、きいたことあります、と答える。お薬ですぐに治るからまったく心配はいりませんよ、と優しく微笑まれたので、少しはホッとした。
「ただこれは、セックスで人から人へ移ってゆく病気なの。だから、かならず彼氏さんにも病院に行ってもらってください。痛いとかかゆいとかがなくても、ウイルスがちょっとでもいるとまたあなたに移るから」 そして彼女はこう言った。
「ご自分で、話せるかしら?」
短い間考えて、はい、話してみます、と言うと、こう付け足された。
「がんばってね、ケンカにならないように、ゆっくりね」
病気になってケンカになる、とは、どういうことだろう。そこで初めてわたしは思い至った。そうよね。これは、いわゆる、性病という種類の病気。性病なんだわ。なんだかいやらしくてだらしなくて生臭い感じのするあの言葉。そりゃケンカにもなるだろう。清潔でハイテクで白く明るい診察室で、頭の中のセイビョ ウ、という言葉をまじまじと、あっちからこっちから見つめていた。
電話をかけると、彼氏は初めうろたえ、そして観念したように静かに謝った。まるで過去を問い質された人のような声を出すから、わたしもしおらしく振る舞うことにした。恋人の過去を問い質し、結局自分が傷ついた女のように。ケンカになるよりずっとましだと思ったのだ。
何年かのち、わたしはクラミジアと再会した。こんどは、風俗嬢として。定期検査の結果を知らせるブルーの紙に印刷された「陽性」の文字は、冷酷で気位の高い女王様のようにわたしを強く威圧した。あんた、また会ったわね。忘れたとは言わせない、泣いて許しを請うがいいわ、ふふん。
薬を飲めば数日のうちに消えてしまうと知っているはずなのに、女王の視線に身がすくんだ。有罪の判決を下されたかのように。だけどそれも、2回目までのことだった。3回目に陽性の結果を受け取ったわたしはがっかりしながらも、「怪しいお客さんがいたんで悪い予感がしたんです。いえ、ただの気分的なことで、身体にはなにも」などと、風邪の症状を伝えるように医師に話すことができていた。
ああ、慣れたのだ、と思った。慣れて、理解をしたのだと。今持っている恐怖の大きさが、本来のものだったのだ。何かがそれに上乗せされてわたしを怯えさせていた。
もちろん、断然、会いたくない。けれど向き合わされるのは「感染しました」という形だけではない。それを回避するにはどうすれば、ということはわたしの頭 に常に居座っていて、そのために言いにくいことを言い、それなにと訝しがられながら笑顔で消毒液を使い、シャワーを浴びようとしない客に憎悪をつのらせ、 ああ面倒くさい。
それでも捕らえられて引きずり出されるときが、また来るのかもしれない。どうしても、鉢合わせてしまうときはある。あるいは他の名前の性病にも。
それを思うと、とても憂鬱になるけれど。
毅然としていたいなあ、と思いながらぶざまに逃げ惑うわたしを、玉座から女王が笑う。けれどその顔をよく窺うと、いくぶん人間らしくわたしに近いかのように思う――偏見を纏わせて、むやみに勝手に怯えていたころよりも。
「なんとでも言いなさい」と冷たくこちらを見下ろす目は、少しだけ、悲しい表情のように思えるのだった。