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クラミジアとわたしと、わたしの客 |
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なんとか柔らかく、おおごとな感じが出ないように説明をしたつもりだった。客は黙って聞いていて、なるほど、とうなずき、そしてこう言った。残念だな、君は衛生管理もしっかりしてる子だと思っていたのに。
「ごめんなさい。できることは全部やってたつもりだったんだけど」神妙な顔でわたしは言う。
「いやいや、つまり相当な行為をしたということでしょ? 病気なんてそう簡単に移るものじゃないんだろうからね」
一瞬で生まれた軽蔑の眼差しに、何が何だかよくわからなくなってしまいそうだった。動揺するな、と自分に言い聞かせる。
「相当な行為って、きっと生で本番とかそういうことを言ってると思うんだけど……あのね、病気って、素股でうつるの。粘膜が触れ合うでしょう、生のセックスと同じことなの」懸命にゆっくりと優しく、わたしは続けた。まるで小学校の先生だ、と自分の声に思った。
「だから、だからこうやってあなたにお話したの、素股とかで移してしまったかもしれないから、だからこうしてお話してるの。痛いとか痒いとか、ない人のほうがね、そう、多いから」
タバコを吸いながら、一度もこちらを見ない。わたしも顔を見ないで、薬さえ飲めば一週間とかで治るし……とぼそぼそ言った。
えっ、ああ、そう。それは飲み薬なの?と返ってくる。
彼もまた、やっぱりだいぶ動揺している。ええ飲み薬、と答えながら、本当はもっと知りたいことあるんじゃないの、聞きたいことあるんじゃないの、と思ったけれど、それ以上何か訊ねられることはなかった。
「わたしだってこんな話、したくなかったけど……本当にごめんなさい、迷惑かけてしまって」
その言葉の前半が、本当にささやかなわたしの抵抗だった。わたしが何もかも悪いなんて思わないでね、と。なのにその後にごめんなさいとつけた。そうせずにいられなかった。
そして、ああこれで月収にしていくら減っちゃうのかな、といやに冷静に思っていた。
「君も大変だな。大変な仕事だよ確かに」最後に彼はそう言った。彼の目にはさっきのような鋭い軽蔑はもうなかった、ただ後悔だけがあった。わたしは何も言わなかった。
STDに感染していたとわかったら、それを自分の客に告げるべきだろうか?
わからない。エレベーターの中でわたしは迷っていた。これから会うのも、定期的に呼んでくれる人だ。いつものプレイの内容を思うと、うつしていない自信はない。二度と会わない相手はどうにもならないけれど、本指名とピンポン感染なんかしたらと考えるといろいろとまずいことだらけだ。
それで指名が終わることになったら、そのときはその時と諦めるしかないんだと思った。でも、わたしは何も悪くないのに。
「そっか……じゃあ、つまり、俺も病院に行ったほうがいい、ってことだよね」
「うん。ごめんなさい。忙しいと思うけど、その方がいいと思って」
わかった、なるべく早くそうする、と今度の客は言った。わたしはまだ少し身を固くしている。
「何科に行けばいいのかな、性病科?」ときかれて「あ、男の人は泌尿器科でも」と答える。きょとんとした顔になったので「女の人は婦人科があるから」と言うと、あ、そうか、と彼は少し笑った。
「ごめんね」「……いいよ仕方ないことだし。きみがお仕事がんばったっていう証拠だもんな、ある意味」
どういう風に解釈していいのか分からなくて、でも黒いビジネス手帳の後ろのページに「クラミジア ひ尿き科」とメモをする横顔からはわたしを責め立てるようなものを感じなかったから、そのままの意味で受け取ることにした。
帰り際に靴をはいていたとき、呼び止められた。
「あのさ。確認なんだけど、もしかして俺がもうずっと前からその、クラミジアっての持ってて、知らないで、それで君と出会って、移した、ということも、ありえるのかな。そういうことなんだよね?」
すぐに返事ができなかった。そうそうその通り、みんなそこに気付かないのよね、と、他人の話ならきっと思うのに。「それは、理屈的にはそうだけど。……でも、たぶんないよ」と笑ってみせる。
「いや、実際にどうかじゃなくて。なんか……ごめん」
「なんであやまるの、絶対ちがうって、そんな心配しないで」
「違ってもだよ」
わたしは身体を起こし向き直った。クローゼットの前に頼りなげに立っているそのひとに抱きついて、唇からはごめんね、という言葉だけが出てきた。わたしはなんにも悪くない。なのにごめんね、としか言えない。
わかったよ、わかったから、あやまるなよ、と彼が言い終わらないうちにキスをした。何も考えずすぐ舌を入れた。長くてとても濃密なキスだった。ふたつのごめんねが口の中で混ざったそれは甘くて、でも何だかただ、悔しい、と思った。
クラミジアなんて、未知の怖い病気じゃないのに。ないのにね。