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なにがちがうの? |
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はじめまして、庄司優美花です。気づけばもう、ずいぶん長いこと非本番系風俗で働いてます。世間一般の"風俗嬢"のイメージから程遠いおかげでか、バレずにやってこれました。
風俗業に就いてることを殆ど口に出来ないまま、20代を過ごした気がします。
30代以降は、相手や機会によって「実は…」と告白することもあります。
けれどその分、何だかなあ…と思うことも増えました。
黙っているときとは別種のストレスが溜まる気がします。
風俗や風俗嬢に否定的な人からの攻撃ではなく、"自分は風俗(嬢)には理解ある"と
そう思ってる人からの言葉に戸惑ったり、辛い思いをすることがあるのです。
「立派な仕事だよね」「究極のサービス業だよね」「尊敬しちゃう」
そう言ってくる人に、何かを突きつけたい気持ちになることがあります。
そんなことを考えて、書いた文章です。ちょっと堅い感じですみません。
"お客の抱くセクシャルファンタジーを可能な範囲で叶える(もしくは叶ったと思わせる)"というサービスを提供する職業が風俗業だと思っています。また、性行為において金銭と愛情はトレードオフの関係ではないとも。
"セクシャルファンタジー" "性行為"という言葉を入れ替えれば、諸々のサービス業と共通するものが多いのは確かです。
けれど、サービス業全般と風俗業には、とても大きな違いがあると思うのです。
多くのサービス業と違って、研修や講習は最低限です。技能だけでなく、精神面の心構え、心身の守り方といったことは、自らの経験から学んでいくしかないのです。(業種や店舗によって差はあるでしょうが)
多くのサービス業で求められる、"プロらしい気配り" "手際のよさ" "値段相応の満足感"(まあ当然ですが)を求めるのと同時に、相反する要素である"素人感" "本気感"を求める人たちが多いのは、どうしてでしょう。"経験浅"を喜ぶ方も多いですよね。
"性行為は愛情がベースになっているべき"というモラル、"愛情ある性行為が最高"という価値観が影響しているのではないか、というのがわたしの結論です。
"特定の相手と、金銭(特に現金)を介在させることなく行うべき"行為を "不特定多数の相手に、金銭と引き換えに提供する"というのは、多くの人が抱いているであろう上記のモラルに反しますし、それだけに"経験浅" "自分にだけは本気(仕事ではない≒愛情がある)"という幻想が欲しくなるのだと思います。
またそれらのモラルや価値観が、ブーメランのように、"お金を払って性行為を行う"お客自身への罪悪感や嫌悪感も沸き起こすことが多々あるでしょう。その場合の罪悪感、嫌悪感が、差別意識として風俗嬢にも向かうことは想像がつきます。
"お客様は神様です" "女性ならではの優しさ" "金銭が介在したとはいえ、性行為をしたのだから愛情があるはずだ"幻想と絡み合って、度を越した要求となっていくことも。
風俗嬢への差別意識をなくすには、"性行為は無償かつ特定の相手とだけ行うもの" "愛のある性行為こそが最高"というモラルや価値観が消えなければ難しいのではないでしょうか。しかし、これは社会(特に父系社会)の根底に流れているものですし、消えるとは思えません。また、それを真実と思う人たちも多いですし、真実としておいた方が何かと無難でしょう。
わたし自身の中にも、そのような価値観がないのかと問われれば、NOとはお答えできません(そこがまた風俗嬢の自己評価を下げる一因です)
でも、時々思うのです。
"自慰/親しい間柄との性行為/風俗嬢との行為"の差は、
"自炊/家庭料理/外食"と同じくらいではないかと。一体何が違うのでしょう。
でも、現実には違う。どんなに奇麗事をいっても、自分の中でも違う。
ずーっとずっと、考えていることです。