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Sex Workerが観るSex Work映画〜その4「未来を写した子どもたち(原題:売春窟に生まれついて)」 |
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台湾にばかり行ってるあたしだが、
今年の夏はインドを旅してきた。
あたしは元風俗嬢で、
風俗嬢を辞めた今も風俗街の近くに住んでる、
根っからの「風俗街」好き。
旅に出ても出かけた先の風俗街をぶらぶらする。
(ちょっとヘんなんですかね?
実はインド旅の後また台湾に出かけたんだけど、
やっぱり風俗街散歩をたくさんしたわ…。
台湾の風俗街の話もまた書くね)
今回の旅で歩いてきたインドの風俗街はソナガチという街。
そこが舞台のドキュメンタリー映画がたまたまあるので、
その映画の紹介をしながら
ソナガチを歩いた感想をここに書けたらいいなと思う。
そのド キュメンタリー映画には「未来を写した子どもたち」という邦題が付いている。
DVDのパッケージはティーンエイジャーの子どもたちが並んでいる写真。
一見セックスワークと関係ない映画みたいに思えるけど
これはインドの売春街に生まれた子どもたちにカメラを持たせて写真を教えて、
家業を継ぐ以外の選択肢を与える活動の記録映画。
原題は「Born into Brothels(売春窟に生まれついて)」で、
このタイトルならすっきり伝わる映画だと思う。
メインは写真教室の活動によって子どもたちが選択肢を増やしていったことの記録なので、
あまり細かく描写されてはいないが、
子どもたちが生まれ育ったソナガチという売春街の様子も少しは映る。
(ソナガチではセックスワーカーが1万5千人働いているらしい。世界最大の赤線なんだそうだ)
その少ししかないインドのセックスワーク事情が描かれているシーンのほとんどは
セックスワークに悪い印象を持ってしまうものだ。
子どもたちは母親が売春の仕事をしている部屋がある家で暮らし、
幼い頃から家事や子守りをして家業を助けている。
母親の仕事内容を知っ ているし、
客と会話することもあり、
子どもたちは皆自分には家業としての売春をする将来が待っていることを知っている。
(いつセックスワークを始めるのか客に聞かれるが、
いつもまだだと答えていると言う少女のインタビュー映像がある)
セックスワーカーである母親が映っているシーンは
子どもを叱っている場面や
子どもの将来の可能性を奪う発言をしている場面が多く、
働いている父親はとりあげていないし、
子どもたちが語る客の話は
酔っぱらいや暴力をふるうようなダメ客のエピソードばかりで、
まともな客との普通の労働については語られない。
子どもたちの訴えにはたいていの人がショックを受け、
胸を痛めると思う。
その子どもたちに家業を継ぐ以外の選択肢があることを教え、
海外に勉強に行くためのパスポートやビザを取るサポー トや、
寮のある学校への進学を手助けする活動はすばらしいものだ。
パスポートセンターで粘り強い交渉をする場面は本当に感動的だし、
子どもたちと信頼関係を築いていく過程のひとつひとつに愛情が宿っている。
その活動にケチをつけるつもりは全然無い。
だがこのドキュメンタリーは子どもたちの変化を中心に描いたもので、
セックスワーカーを描いたものではないことを忘れてはいけないと思う。
嘘を描いていなくても、
切り取り方で映画の印象は全然違うものになる。
ソナガチの子どもたちを中心にでなく、
セックスワーカーを中心に描いたとしたら、
夜の明かりに浮かび上がる淫猥なイメージ映像のように処理されていただけの
セリフの無いセックスワーカーと客たちのシーンは
もっと別のものになっていたと思う。
子どもたちに悲しみだけでないいろんな 表情があったように、
セックスワーカーたちにも
薄暗い路地の原色の明かりに浮かび上がる娼婦たちという面だけではない
いろんな顔があるからだ。
あたしは今回
「DMSC」というセックスワーカーの支援活動をしている団体の女性たちと一緒に
ソナガチを歩くことができた。
ソナガチの街の中にあるDMSCの事務所から大通りや小さな路地まで
カタコトと身振り手振りで話しながら一緒に歩いた。
一緒に歩いてくれたDMSCの女性スタッフたちは元セックスワーカーが多かった。
経営者や客に気を使って目立たないようにこっそり活動してるのかな?と思っていたが、
彼女たちは堂々とゆったりとセックスワーカーであふれる通りを歩いていた。
胸に元セックスワーカーであることと名前が書かれたDMSCの名札をつけて、
通りにいるセックスワーカーたちと挨拶を交わして、
あちこちで立ち止まったり、
客待ちをしているベンチや階段に一緒に腰掛けたりもしていた。
客待ち中のセックスワーカーたちの中には
DMSCのスタッフと一緒にいるあたしに興味津々の人も多かったので、
スタッフの人たちがあたしを「日本から来たセックスワーカーなんだよ」と紹介してくれた。
たくさんの人たちと「セックスワーカー同士だね!」と言い合って笑い、
あちこちで呼び止められ、
立ち止まって、
たくさんのハグができた。
その体験だけで「仕事を恥じてる人など居なかった」とまで言うつもりは
もちろん無いが、
「未来を写した子どもたち」が意図的にこの部分を映画では取り上げなかった のだな
ということは分かる。
何年もソナガチに住んで映画を撮っていた人たちが
セックスワーカーたちにこういう面があることや
ソナガチの中にあるDMSCの事務所の存在や活動を知らないことはありえない。
ソナガチを歩く時DMSCの人たちからたった一つ注意されたことは、
写真を撮ってはダメということだった。
だからあたしはソナガチで出会ったたくさんのセックスワーカーたちとの交流や、
彼女たちが働く街の生活感溢れる様子を写した写真は一枚も持っていない。
あたしが歩いた日没前のソナガチの街の賑わいを懐かしむためには
セックスワーカーがいきいきと働く様子が映ってない「未来を写した子どもたち」を観るしかない。
それを観ながらフレームの外の様子に思いを馳せる。
記録を持たないあたしの記憶が単なる記憶違いではなかった証拠のように
特典映像で語られるその後の子どもたちの話の中で、
カメラ教室に関わった後で自分の意志でセックスワーカーになった少女の現在が語られる。
語り手は写真教室で一緒に学んだ後アメリカの大学に進んで写真を学んで、
この映画製作にも関わっている少年。
セックスワーカーの道を選んだ少女については
さらっとしか語られてないけれど、
ちゃんとそこをはぶかないで語っていることにこの映画の誠実さを感じる。
彼女を可哀想な存在として語っているわけではなく、
普通の口調で語っているところもすごくいいと思った。
セックスワーク以外の仕事などできないのだと諦める人たちに、
選択肢はたくさんあると伝え、
セックスワーク以外の仕事に就くサポートをすることと、
セックスワークを選んだ人が安全に働くサポートすることは矛盾しない。
同時にしていくべ きことだ。
注意深くこのドキュメンタリーを観てくれたら、と思う。
1万5千人のセックスワーカーが暮らすソナガチの街の全体像を想像しながら観るのは難しいことだと思うけど。
未来を写した子どもたち> goo映画「未来を写した子どもたち」
ソナガチ> Wikipedia「ソナガチ」