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爪と骨 |
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広いとはいえないバスタブの中で、重なるように身体をふたつ沈める。
適度に鍛えられたこの人の身体は筋肉をきれいに被せた骨だ。
自分と違う肉の心地を感じながら腿の上に乗っかるのは楽しい。
抱きかかえられると足の指先だけが水面から出て、昨日塗り替えたペディキュアのオレンジピンクが濡れている。
あ、キラキラしてる。と彼が言った。
うん。キラキラ。とわたしも言うと、きれいだね、と後ろから聞こえた。
親指の爪にのせたラインストーンは完全に自己満足でなにかコメントされることを期待などしていないけれど、気づかれればほんのちょっとだけ嬉しくないわけでもない。
そして大抵は「すごいね」「女子は大変だね」などと言われるところを「綺麗だね」と言われたことに、へえ、と思い、同時にあることを思い出して頭のどこかが急速に回り始めた。
彼の足は、片方の親指に爪がない。
そのことには2分ほど前に気づいた。
ボディソープを泡立てて少しずつ下へ下へと撫でながら洗い、最後に辿り着いた足の甲に指を滑らせたときに、あれ、ないんだ、と。
事故や怪我で欠損したのか、生まれたときからなかったのかはわたしが見たってわからないし、どちらでもどうであってもよいことだ。
こうしてたくさんの人の身体を見ていれば、何かがあったりなかったり多めにあったりすることが、そう珍しくも大それてもいないことくらい分かる。おへそがない人、指の数がわたしと違う人、身体の一部が金属の人。
足の爪ならば、靴下に隠れて他人の目に触れないからその点の苦労は少ないだろうか。いや、子どもの頃からのものだとしたら学校には水泳の授業がある。
そんなことを、短い間に一気に考えた。
そして彼がわたしの爪をほめてくれた2秒前のことを。
「ありがと。どーしてもズレちゃって、息止めて一生懸命がんばったんだ」
楽しげな声に整えてそう言うと、えっ自分でやったの、すごいね器用だなあ、と言われた。
だれでもできるよ、と照れながら足指をくいくいと動かしてみせると、そうかなあ、と言ったあとで彼は急にこう言った。
「俺もし女に生まれてたら、こういうお仕事っていうか、んー、出来なかったよね。見たでしょ、さっき。爪ないの」
「どうかなあ……高いお店じゃなければ、働けるんじゃないかなあ。落とされるってことはないと思うけど、うーん……どちらにしても、面接でそこまでは見られないから言わないで働くこともできなくはないと思う、隠してるって思うとストレスたまるかもしれないけど。あとは、たまーに酔っぱらったお客さんとかが嫌なこと言ってきたりしたら、少しだけ嫌な思いしちゃうかもだけど……でも、そんな人はそんなやつだから、ね」
きちんと答えよう、と思って、ものすごくきちんと答えてしまった。まるで業界入りを考えている女友達から切実に相談されたかのように。
でも、いやいやもしもの話なのにそんなに真剣に答えられても、とは、彼は言わなかった。そっかあ、と頷いてから、やっぱ色々言う奴いるんだね、とつぶやいた。
「うん、色々ね。顔のこととか体型のこととか。あとわたし変な骨があってね、ベッドでしてる時にうっかり見えると、たまにだけどキモいとか言われる」
変な骨? と彼は聞き返した。うん。へんなほね。
わたしはちょっと身体を起こして向き直り、ここ見てて。と言った。力を入れるとポコッとよく見えるのよ。
あー、本当だ……えっ、それ、すごいな。
彼はそう言うと自分の身体の同じ箇所を手で探り、だめだ俺ないわ、凡人だ。と笑ってみせた。かっこいいのになあ、と。
「わざと人に見せたのはこれが初めてだよ、この、謎の骨」とわたしも笑って言いながら、ぼんやりと自分に驚いていた。見せるつもりなんて少しもなかったのだ。
「いいね、謎の骨。かっこいい。あとモンハンみたい」
「なにそれ」
「あ、やったことないか。あるんだよ、そういうアイテム」
「ふうん。なんか、ぽいね」
「『なぞの骨を入手しました』って画面に出るよ。入手どころか内蔵してんだから最強でしょ」
「その謎の骨はなにに使うの? 強いの? 売ったら高い?」
「んー……そうだな。強いとか高いとかじゃなくて、大事なもん。すっげえ超大事」
ふうん、じゃあ大事にするー。と言うと、おう、そうしな、絶対。とやたら真面目に彼は言い、手のひらをわたしの謎の骨の上にそっとあてた。お湯のあたたかさに隠れてしまって、体温がつかまえられない。
大事にするってなんだろう。
わたしだってあなたが大事だ。あなたの骨の200本だかのぜんぶ、緻密に動き続ける臓器、それに被さる血と肉、たったいま上を滑り落ちた汗の粒。足の爪がひとつないということも、大事、のうちだ。もしももっと長く話し込めば幻滅するなにかがあったとしても。今夜限り死ぬまで、もう会うことがないとしても。
そう思いながら、自分の手のひらを重ねた。そしてもう一度足の指をそっと水面に出して、ちっぽけな光を眺めた。