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Sex Workerが観るSex Work映画〜その8「風と共に去りぬ」 |
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あけましておめでとうございます。
お正月なんて姫はじめがどーのこーの言う客との「彼氏いるのいないの」というやりとりがうざいだけで、なんのめでたいこともないわけけど、今年のお正月はちょっと別。
今年は宝塚歌劇創立100周年のおめでたい年でございまして、宝塚ファンのあたしにとっては、コングラッチュレーション!祭りだわっしょい!な年。
というわけで、そのロマンチックうかれモードのままに今回は宝塚がらみの映画について書こうと思っている。
コングラッチュレーション!※1
宝塚になんの興味も無い方にとっての宝塚ってものは、「女だけでやって男役っていうのがある逆歌舞伎みたいな劇団」で、「清く正しく美しく」で、「年がら年中ベルサイユのバラ」をやってるみたいなイメージで、セックスワークと宝塚はものすごく遠いもののように感じられるかもしれないけど、宝塚ではベルばら以外の演目もたくさん上演されており、宝塚歌劇団の演目にはあたしも驚くぐらいセックスワーカーが登場する。
「日本物のショーなら芸者も出るわね、芸者はセックスワーカーと言えるかしら?」みたいなレベルではなく、ショーの場面で憂いを含んだ男役が夜の街を歩けば街娼に声をかけられるのは定番なので女役タカラジェンヌさんなら一度ぐらいは街娼役をやるだろう、というレベル。
ショーだけでなく、芝居やミュージカルにもセックスワーカーは登場する。
「エリザベート」は宝塚ではよく再演される作品ですが、エリザベートの中に、マダムヴォルフに雇用されているウィーン一の美人ぞろいセックスワーカー、マリー(ぷっつん)とロミー(ぴちぴち)とタチアナ(ダイナマイト)とミッツィー(お年寄りに人気)とマデレーネ(ナンバーワン)が皇帝のところにデリバリーされる場面があるのは有名。
あの場面でマダムヴォルフが歌う歌詞の「礼儀は要らない好きな食べ方で食べていい」の部分には「礼儀は必要!好きな食べ方はダメ!ワーカーが売りたくないものは売りません!」と思うし、「食欲が満たされたらたんまりお代いただいて帰る」の部分には「マダムヴォルフともあろうものが後払い?そんな素人くさいのはあかーん!」と思うけども、楽しい場面でいつもうきうきと観ている。※2
最近の宝塚のナンバーワンセックスワーカー演技は、トルストイの「復活」の舞台化の時、主演女役の蘭乃はなさんがヒロインのカチューシャを演じて「バカにすんじゃないよ、娼婦だって字は書けんだよ!」という台詞を言った場面で、あたしに権威があれば菊田一夫賞みたいなかんじで「セックスワーカーを演じた役者の中で最もすぐれた人を表彰する御苑生笙子賞」などを設立し、きらきらトロフィーを差し上げたいぐらいの名演技だった。
こんなかんじで書き始めるときりが無いぐらい宝塚ではセックスワーカー役が演じられているのだが、これは映画のコラムでもあるし、ここでは映画版もある「風と共に去りぬ」をとりあげることにする。
「風と共に去りぬ」に登場するセックスワーカーはベル・ワトリング。
彼女は雇われセックスワーカーではなく、「赤いランプの館」という娼館を経営している女性。
元セックスワーカーの経営者なのか、現役ワーカーとして働いてもいる人なのかははっきりしないが、南北戦争中のアトランタの街で「いかがわしい商売をしている女」として差別され、社交から閉め出されている。
映画でベルが最初に登場する場面は上映1時間後。
ベルは傷痍軍人が収容されている病院で看護ボランティアをしているメラニーを病院の前で1時間も待って声をかける。
ベルは名乗る前からメラニーの召使いに「行きな!迷惑だ!」と追い払われ、メラニーもスカーレット(ヒロイン)に「無視なさい」と忠告されるけれど、人を差別しないメラニーはベルと話し始める。
ベルが「いかがわしい商売をしている女」であることは有名で、当時女性は誰でもやっていた看護ボランティアを志願して断られ、それなら病院に寄付をと申し出ても「汚れたお金はダメだ」と断られている。
「いい人」で「みんなに差別されているけどあなただけは例外」なメラニーに寄付を受け取ってもらい、「わたしだって南部女性だ」という言葉に「そうですとも!」「奇特な方です」と言ってもらって、満足そうな表情でベルは立ち去る。
次にベルが登場するのは1時間20分あたり(この映画はなんせ4時間もある長編なので、ベルだけ観たい人のための親切時間表示をつけています)。
スカーレットの召使いが、スカーレットたちが戦火から逃れるための馬車の調達を頼みに、娼館に滞在中のレット・バトラー(後にスカーレットと結婚することになる男)を訪ねる場面だ。
往来から2階の窓に向かって大声で呼ぶ召使いにバトラーは「上がってこいよ」と言うが、召使いは「いんや!ここに上がったら母ちゃんにぶたれるだ」と決して娼館に上がらない。
次にベルが登場するのは後編が始まってから30分あたり。
スカーレットの侍女が往来でベルを見て「あんな髪の色の女は見たことがねえだ」と言う(ベルは仕事用の衣装でない街着でも派手な色合いの装いをしており、髪よりそっちに目がいくが、当時は髪を染める習慣が一般的ではなかったので奇抜に思えたのだろう)。
次はベル自身は登場しないが、ベルの立場が重要な役割をする場面で、50分あたりの自警団(設立当初のKKK)に参加していた男性たち(スカーレットとメラニーの夫たちも参加している)のアリバイに「ベルの店に行っていた」という嘘を使うという場面。
バトラーは自警団員の貞淑な妻たち「こんな下卑たアリバイしか思いつかなくて申し訳ない」と言う。
次の場面でベルが夜こっそりと馬車でメラニーを訪ねてくる。
ベルは家に入ってくれというメラニーの言葉をさえぎって、馬車の中にメラニーを呼び入れて話す。
「お礼を言いにわたしの家に来ると手紙をくれたけど、売春婦の家を訪ねようとするなんてあなたは頭がおかしいんじゃないの?そんなことしちゃいけないと言いにきたの」
「わたしの馬車が奥さんの家の前に停まっていることを見られたらろくなことを言われないからもう帰るわ。街で見かけても無理に声をかけなくていいのよ。心得てるから」
とベルは言うが、メラニーは
「夫を助けてくださった方をお訪ねするのは当然」「街で出会った時もご挨拶させて」と言う。
最後にベルが登場する場面は娼館でスカーレットとの離婚を考えているレット・バトラーの相談相手になってやっている場面だ。
ベルは長年の馴染み客であるレットを諭して結婚生活を続けるようアドバイスし、
「スカーレットとおまえは同じ女でも全然違う。2人ともしっかりもので商売上手だが、おまえには心があり正直だ」とレットは言う。
これが「風と共に去りぬ」にベル・ワトリングが登場する場面の全てだ。
南北戦争中のアトランタでの話だけど、女性たちにとって「ふしだら」だと思われることが不利であることは今も変わっていない。
ベル・ワトリングのように周囲の人皆にセックスワーカーであることがバレている生活はしんどいから、ほとんどのセックスワーカーは身バレを防ぐ手だてをして働いている。
メラニーのような人は南北戦争時代よりは増えていて、セックスワーカーを「同じ人間として」見てくれる人との出会いは多いように思う。※3
そして映画の中でベルがしたのと同じように、「セックスワーカーを同じ人間と思ってくれる人を大切に思うからこそ、街で会っても無視してくれていいのよ、心得てるから」と思ってしまう。
もちろん元セックスワーカー同士も「身バレを考えてばったり出会っても知らん顔をしましょうね」という「常識」を持って交流している。
ベル・ワトリングが微笑んで「心得てるから」という言葉は、映画の中の台詞として軽く聞き流すことができる言葉ではなく、重苦しく心に残るものだ。
宝塚の舞台版では、寄付金を渡すためにこっそりメラニーの家を訪ねたベルが、自分から「人目に付くからあたしは裏口から帰らせてもらうよ」と申し出て、メラニーが「ご親切に」と受け入れる、というふうにアレンジされている。
舞台版のその場面はいつもあたしをとてもせつなくさせる。
舞台版のベルの見せ場はその前の、寄付金を受け取らずベルに差別的な言葉を投げつける婦人会の女性たちに喧嘩を売った結果、突き飛ばされて道に倒れたベルが「好きでこんな仕事をしてるわけじゃない。こんな商売をしたって南部を思う気持に変わりはないよ」と悲しげにつぶやいてから、「幸せはどこに」という歌を歌う場面で、その場面は何度観劇しても泣けてくる場面だ。※4
その場面で泣ける時の涙は「泣いてスッキリするための涙」で、「こんな仕事好きでやってるわけじゃない」というちょっと複雑な台詞にもざわざわすることなく、ただ泣いてすっきりできる。※5
観劇後にじわっと泣けてくる裏口に消えていくベルの場面とは全然違うものだ。
生々し過ぎて自分で持て余してしまう感情、ということなのだろうか。
4時間の長編映画なんて観る気にならないかもしれないけど、ヒロインが衣装も容姿も美しい(ベル役の女優さんも美しいけど、ちょっと衣装がねえ…)し、見始めると案外長く感じないので、ちょっと観てみてほしい。
もっと時間があるなら原作本もお薦めしたいと思う。
文庫本で5巻もある長い小説だけど、もて女子であるスカーレットが実践してる「愛されテクニック※6」は接客の参考になる、とかいろいろ発見も多いし、そういう意味でも無駄にはならないので、時間があったら読んでみて。
あたしは子どもの頃に「風と共に去りぬ」を読んでとても影響されている部分がある。
「内働きの奴隷と野良働きの奴隷」っていうのがそれだ。
「内働きの奴隷は野良働きの奴隷を軽蔑している、どっちも奴隷なのに」ってことを子ども時代のあたしはとても重要なことだと思った。
特別かしこい子だったわけじゃなく「スカーレットは南部一のウエストの細さ」と書いてあるから、インチで書いてあるスカーレットのウエストサイズを計算してセンチに直したりして、自分のウエストサイズがこのサイズを超えないようにしようと考えたりする虚栄心の強い愚かな女の子だったけれど、「内働きの奴隷と野良働きの奴隷」のことははっきりと強く心に残って、あたしの人生に強い影響を与えた。
「ふしだら」ということについて考える時、説明がややこしいざわざわとした複雑な感情わき上がる。
そういう時いつもあたしの心にはタラの綿花畑が広がり、翻訳本の中で奴隷が使う「〜なりましねえだよ」という語尾が聞こえるように思う。
「内働きか野良働きかの違いしかありましねえだよ。どっちも奴隷に変わりはねえんでごぜえますよ」ってかんじ。
それぐらいあたしと「風と共に去りぬ」は深いところでつながっている。
そのつながりはあたしをいつも救ってくれるつながりであるように思う。
話がちょっと映画版から離れてしまった。
いろいろ書いたが、「風と共に去りぬ」は気楽に観られるメロドラマでもあるし、綺麗なドレスもふんだんに出てくるのでお正月向き。
ぜひお正月休みに観てください。
(お正月は忙しくて4時間の映画なんて観る時間無い!という人は、客足が鈍る2月にでも観てください♡)
「風と共に去りぬ」http://eiga.com/movie/43329/
※1 東京宝塚劇場の2014年最初の公演が「CONGRATULATIONS 宝塚!!」という演目なので。 http://kageki.hankyu.co.jp/shall_we_dance/
※2 マダムヴォルフやセックスワーカーや皇帝にセイファーセックス知識があったら、皇帝は梅毒にならずに済み、歴史が変わったかもなあとも思う。
※3 映画版舞台版のメラニーのように「同じ人間としてセックスワーカーと交流する」のは簡単なことではない。どうしたらメラニーのようにセックスワーカーと信頼関係を築けるの?と悩む方のためにSWEETLYが「セックスワーカー×支援者サポートハンドブック」という冊子を作りました。必要な方はSWEETLYに問い合わせをしてみてください。SWEETLYというのは、御苑生が参加しているセックスワーカーの自助グループです。
SWEETLYメールアドレス→[email protected]
冊子を紹介してくれているブログ→http://kuriryuagogo.blogspot.jp/2013/10/sweetly-japan-hiv-center.html
冊子を紹介してくれているブログ→http://d.hatena.ne.jp/font-da/20131211
※4 宝塚では「風と共に去りぬ」は何度も再演されているので、何人ものタカラジェンヌがベル役を演じてきているが、あたしの一番のお薦めベルは2013年の宙組版の緒月さん。もう公演は終わっているがDVDで観ることができる。http://www.takarazuka-video.com/shop/goods/goods.aspx?goods=TCAD-416 2014年1月にも再演されるので宝塚の「風と共に去りぬ」を生で観てみたい方は梅田芸術劇場で(緒月ベルでは無い別のベルですが)。http://www.umegei.com/schedule/324/
※5 同じように泣いてすっきりできる映画に「ムーランルージュ」がある。泣いてスッキリしたい時にお薦め。いつかこのコラムでじっくり書いて整理したいと思っているが、自分や自分の仕事を卑下する台詞をヒロインが言って、それを同じ仕事をしている私が共感して泣いて、泣くことから生まれるスッキリ感というのを、誤解の無いようにうまく説明するのは難しいものだなあと思う。http://eiga.com/movie/1548/
※6 「少女時代にどうしたら男の目をひくことができるか、どうしたら男の心をとらえられるか、そればかり習ってすごし、しかもその知識を2、3年のあいだしか使えないなんて、まったく恐るべき人生の浪費としか思われない。母や乳母のその方面に関する教育はいつも効果てきめん、完全無欠なものだった。それには守るべきいろんなやかましい規則があった。そしてそれを守りさえすれば、その努力にたいして成功の栄冠が与えられた」というスカーレットのモテテクニック。例えば高齢男性編→「老紳士にたいしては、なれなれしく、いくらかはすっぱにふるまい、あまりひどくない程度に色気を見せたほうがいい。そうすればおろかな老人の虚栄心がくすぐられ、悪魔的な、若返った気持になって、ちょいと娘のほおをつねって、この浮気娘め、などとうれしがるだろう。そこで、もちろん、そういう場面になったら、かならず顔を赤らめなければならない。そうしないと、相手は年がいもなくおもしろがってほおをつねったりしたくせに、あとで、むすこたちに向かってあの娘はどうも尻が軽いようだなどと言いつけたりするからだ」