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「トモヤ/ショップ店員/23歳/最近ハマってるのはバイク」なんかそんなキャプションでファッション誌に載ってそう。
そんな第一印象の、今っぽい若い子だった。
ついさっき顔を合わせてから、お互いずっと喋りっぱなしで休む間がない。
ただし、悪い方の意味で。
——きょう忙しいの? 俺で何人目? アリサって本名なの? いま何歳? どこ住んでるの? 彼氏いるの? 血液型なに?
うんざりする。こういうのはまともに対応しても不毛なだけだから、流れ作業で処理するしかない。
——えーなんか超グイグイ来るね!?肉食系ってヤツですか〜(笑)まあ金曜日だしお客さんいないと店ヤバいよね〜(笑)あとえーっと、年26でA型で〜(笑)あれ〜あと何だっけ?忘れちゃったぁ(笑)。
だけどこいつときたら私のにこやかな返事(中身はウソ混じりだけど)にリアクションさえしないので、悪ふざけでも、からかいのつもりでもないらしい。どうしたものかと困っていると、最高にイラつく質問が来た。
「ねえ、アリサちゃんはなんでこの仕事してるの。理由は、なに」
うわあ。
「トモヤくんは?」
一瞬だけ顔が強ばったのを見ないフリして、私は言った。
「トモヤくんはなんでデリ呼んだのー。いっつも遊んでるワケじゃないですよね、全然そう見えないし。
なにか理由があるはずでしょ、聞きたいなー!」
このくらいの反撃なら大丈夫だよね。万が一にもキレられないよう、最高の笑顔で私は言った。
なんとなく、とか、別に、って言うんじゃないかなと予想して。
ふーんあたしもそうだよ♡と流してプレイに持ち込もう、そしてクレームにならない程度に仕事をこなしてさっさと帰ろう。
だけど返ってきたのは、全然違う言葉だった。
「セリザワさんのこと知ってるよね」
ハァ?そんな知り合いいませんけど?
と言うかわりにきょとんとしてみせると、彼は一生懸命に説明を始めた。
「えっと、年は40くらいで、いやもっといってんだけど全然、でも40とからへんに見えて、ちょっとひょろっとしてて、けど筋肉超〜〜あって、髪明るくてワシャッとしてて、基本にやにやしてて、若干なんかヤバいっつか変な人。でもいい人、めっちゃいい人だし、マジですごい人なんだよ、見た目ヤバいけど」
だからそんな怪しい友達いないってばよ、てかどんな変なおじさんだよそれ。
と大いに引きながらも、頭の中をよくよく探すと……一件だけ合致する人物がいる。
「……あのー。もしかしてその人、いっつも帽子かぶってる?なんていうかチャラい感じの」
そうそれ、とトモヤは満足そうにブンブンと頷き、チャラいってコトバ言いたかった、と言った。
ああ、知ってる。そのセリザワなら、私の客だよ。それもそこそこ太い客。
*************
トモヤが古着屋の店員なら、セリザワ氏はさしずめカリスマ美容師……として一世を風靡したのが約15年前、といった感じの人だ。確かに風貌は多少うさん臭いのだけれど、私は嫌いではなかった。
素敵なお帽子ですね、と言った私に向かってパアッと目を輝かせて、本当!?ありがとう、ウチの子たちにはなーんか不評ってか苦笑いされてさあ、でも俺は内心けっこう気に入っちゃってるんだよね、だからアリサちゃんが褒めてくれるなんて嬉しいよ、などと言って喜んでいた顔をよく覚えている。
会話の糸口として安易に帽子を選んだ自分が少し恥ずかしくなり、だけどもう一度改めて見ると、その帽子が本当にセリザワさんによく似合う、おしゃれな帽子に見えるから不思議だった。
「さっきウチの子って言っちゃったけど、子供ってことじゃなくてね、俺んところの社員ね。コドモ扱いしたら怒られちゃうけど、はは」
そう言っていたから、なんかの会社の社長さんかな、と分かった。それ以上は何も知らないけれど、納得はした。
自分を愛しているということを隠さない屈託のなさは、どうしたことか見た目には「チャラさ」として表れてしまっていたけれど、そういうところこそを慕っている人もいるんだろな、と。
トモヤは説明を続けた。
「あの人、俺の上司で……ていうかウチの社長で」
ああ、あなた「ウチの子」のひとりなの!!
コミュニケーション能力に長けた如才ないスマートな男の子……を、無意識に思い描いてしまっていたものだから、落差につい驚いてしまう。
「なんでか分ッかんないけど、飲みながらなんか、お前まさか童貞じゃねえだろうなって言って。それで俺はまじで違うんだけどって言ったんだけど、それで風俗でも行ってくればとか言われて。で、ピンサロはありますって言って」
面倒臭いほど要領を得ない彼の話を頭の中で組み立てながら、だけど自分の話を一生懸命するその姿はひどく新鮮に映った。
さっきまでその口を塞ぎたくてたまらなかったのに、不思議だなと思う。
「そいで、お前は選ぶのとかぜってー無理だから、俺の好きな子、昭和生まれだけど超イイから、年上平気なら金出してやっからって、言って。セリザワさんが。それは別にいいですって言ったんだけど。いいからお前、ちっと社会勉強してこい、って」
はあ、と私は小さなため息をついた。
社会勉強ってなんだ?
風俗をおごったり接待で使ったり、男社会でそういうことがあるのはもちろん知ってる。
でも「俺の好きな子」と言っておいて行かせるってさすがにすごくないか。
社長だから浮き世離れしてるのか、もともとそういう人なのか、それなりに付き合いは長いのに未だに分からない。
だいたい、俺が好きな子、なんて純情ぽいセリフを言っておきながら昭和生まれとかバラすかふつう。さっき既に軽くサバ読んだっつうの、もう。
「セリザワさんたら何考えてるんだろうね。ウケるね……ふふっ。てかさあ、一応あと3ヶ月で平成だったんだけど!」
そう明るく言いながら身体を近づけてみたけれど、トモヤは顔をこわばらせた。警戒と困惑、きつく問い詰められている人みたいに、切羽詰まった顔。
ああ、変なことに巻きこまれてしまったよ。彼の肩に横からそっと、軽く軽くもたれてみる。これから私たち、どこまで会話ができるだろうか。
「何か喋ってないと、落ち着かない?」
彼は黙っていた。ずいぶん、考えていた。
質問を変えようかと思ったとき、「そうじゃないけど」とボソッと言い、それからまた、黙った。
「じゃあ、こういう……たくさんの人としてる女は、嫌な感じする?」
気長に構えて訊いたのに、でも今度の返事は早かった。
「違う、わかんねえけど違う気する、なんか、大変……大変な仕事だなって、思う」
大変なのはあなたのせいなんですけど……と心の中で一応ツッコんでから、私は続けた。
「トモヤくんは、知ってる女の子の方がいいのかな。初対面じゃ……こーゆーお店とかじゃ、楽しくない感じ?」
手に触れると、それは思ったほど固く握られてはいなかった。
このまま触っていていいだろうか。握り返しもせず解きもせず、彼は答えた。
「触りたくないとかない、男だし。でも、こういうのって、なんか、味気ない、じゃん」
味ってなんの味、と冗談っぽく私は言った。答えはない。答えられると思って訊いたわけじゃ、私もないのだけど。
「好き、っていう気持ちのこと? 好きだな、とか付き合いたいな、とか」
「だって、だってさあ、それが普通じゃね? 好きな人とするのが、それが普通で当たり前だし、誰だって普通そうだと、俺は思うんだけど」
力強い答えに、今度は私がしばらく黙る番だった。
『普通で当たり前の』世界にするために、私に関する情報を手当たり次第に欲しがったんだろうか。
普通で当たり前のラブストーリーによく存在する「君のことをもっと知りたいんだ!」ってやつ、それがあの私にとってはうんざりするだけのやり取りだったんだろうか。
何もできない。
彼がいる「普通であたりまえ」の世界に、私はいない。
違う「あたりまえ」で生きている。ちょっとした手違いで今は、こうして皮膚の一部が触れ合っているだけ。
それは私にはまあまあ面白いものだけれど、きっとトモヤには少しも愉快なことではないのだ。
「あたし、セリザワさんのこと好きだよ」
好きという言葉に反応して、驚きと疑いの目がこっちを向く。
……いや、そういう好きじゃ、なくてだね。
どう言えば伝わるだろう、そもそも私は何を伝えようとしているんだろう。
「トモヤくんも、セリザワさんのこと好きでしょ?
だから、ついて行こうって思ってるんだろうし、あとほら、何考えてんだろってワケわかんなくても、とりあえずあたしと会うだけ会ってみてくれたんだよね、きっと。……それとたぶん、似たようなことだよ。トモヤくんがセリザワさんのこと、全部は理解できなくても信じられるみたいに、あたしもあの人が好きよ」
受け入れられなくていい、そんな図々しいことは望まない。
せめてこの子が自分を嫌にならないで帰れるように、どうしたらいいのか。それから、セリザワさんのことも嫌いにならないように。
しかしまあ、あの人が好きよ、だなんて、実際昭和の歌謡曲みたいで若干まずかったな。反省しつつ勢いで私は続けた。
「セリザワさんが『楽しかった』って言ってるの聞くと、よかったね、またしましょうね、って思う。でも会ってない時のあの人のことなんてなーんにも知らないし、別に知らなくたって大丈夫なの……あたしは、ね。
だからね、もしトモヤくんのこともそういう感じで好きになれたら、好きっていうか、大丈夫だったら、そんでトモヤくんも一緒にいる間だけ、あたしのことまあいっかーって思ってくれたら、それでもう、いいんだけど」
うん、だんだん何を言ってるのか分からなくなってきたぞ。とりあえずなんかこう、苦しい。
どうしてこんな目に遭わされているのか、さっぱり意味が分からない。今度セリザワさんに会ったら絶対に文句を言ってやろう。
「このままお話ししててもいい?それとも、帰った方がいい? それでも大丈夫だよ、お金はいただいてるから誰も何も言わない」
私に出せるいちばん優しい、いちばん可愛い声を出そうとしたけれど、なんだか今ひとつに思えて悔しい。20年くらい経ったら、声も自由に整形できるようになったりするんだろうか、高須クリニックとかで。いいなあ未来の人は。
「それともさ、キスくらいなら、してもいい?」
黙ってると勝手に奪っちゃうよー、と冗談めかしてささやきながら、私は慎重に顔を近づけた。
トモヤは私の手を不器用に握り返し、そして言った。
「あの人にも……セリザワさんにも、そういうことするの」
私はすぐに答えた。
「あー、あの人は奪うとかないね。もう、ご自由にお持ちください!って感じでニコニコして、心開いてくれるから」
トモヤは笑った。すげえわかる、と嬉しそうに言った。
私も同じように笑った。笑ったままで、目を閉じた。
*************
何もかもが違うふたりだな、と思った。
本当は薄い体つきの上に筋肉が波打つセリザワさんの身体と、跳ね返すほどの弾力が太い骨組みに隠れたトモヤの身体。
セリザワさんの愛撫はいつも、私の身体のほんの少しの隙間にするりと入り込んでくるように軽やかなのだけど、
トモヤの愛撫はまるで、持て余した肉の重みをぶつけてくるかのようだった。嗚咽のような吐息に合わせて身体の角がごりりと擦れると、時々私は「痛いよ」と小さくつぶやいた。その度に彼はビクッと身体を引き、またその度に私が「いいよ」と言う、そんなことを何度も繰り返した。
すべてが終わると、トモヤはうつむいて黙っていた。
黙ってただくっついてくる彼は、圧倒的に新鮮だった。そのうちに向こうから視線を合わせてきて、そしてこう言った。
「アリサちゃんを俺に譲ってください、って言ったらセリザワさん何て言うかなあ」
「……たぶんフツーに『いいけど俺のじゃないぞ〜』とか言うんじゃないの」
私は少しそっけなく言った。
「まあ、セリザワさんが譲ったところであたしの客なんて他に100人いるから関係ないけどね」
そう軽く笑って、帰り支度を始めた。
すごいね、とトモヤは言った。
普通なら皮肉かイヤミだけど、たぶん単純な感嘆と、少し途方に暮れてもいるような響きで。
いやいや100人はさすがに盛ってるから……と言おうとしたその時、
ついに、きょう最高に難しい質問がやってきた。
「ねえ、俺のこと……好き? あの人と、どっちが好き」
私は口紅を塗っていた手を止めず、注意深く適当に無責任に、無神経に答えた。
セリザワさんの方が上かな、と。
「だってトモヤくんと会わせてくれたからさ、ひいきしてあげないとまずいでしょ」
つられるように彼も笑った。
「だからあなたたち99位と100位。これからも仲良くしなね。わかった?」
うん、と素直に頷きながら、だけどどこか不服そうなトモヤの笑顔に送られて、その部屋を出た。
おやすみのキスはしないで、それじゃあね、とだけ言って出た。
甘く愉しい余韻を残して去るのは、当たり前の私の仕事だ。普通で当たり前のこと。
だけど、きっとあの子にはそうじゃない。私の普通をあげられない。私もあの子の普通をもらえない。
でもいいじゃない、笑って別れられたんだから、私、十分やったよね? そうだよね?
いつの間にか私は99番目の男に話しかけていた。
余ったキスは、今度引き取らせよう。