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メタモルフォーゼ2ミリ弱 |
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あ〜あ、まじ整形したいわ。
ソファを背もたれにして床にぺたんと座った若い女の子(たしかユイちゃんといった気がする)はさらにテーブルにぺたんと頭をつけてそう言った。すかさず、もうひとりの女の子(記憶をひっくり返しても名前が出てこない、初対面かもしれない)が元気よく叫んだ。
「超わかるー!」
あまりに力強い同意。私はぎょっとしてしまった。
それ、そこに超わかるって言うの、いいのか。アリなのか。下手したら「ええそのお顔ならそりゃあしたいでしょうね」的なニュアンスになっちまわないか。それか、まさかとは思うけど実際そういう意味で言ってたらどうしよう、絶対ありえないとも言いきれない。暇な店の狭い待機で散らされる火花ほど危険なものはない。
でも、言われた子はまったくノーリアクションで、つってもそんなお金どこにもないんだけどさぁ〜、と遠くを見ているので大丈夫なんだろう。言った方の子も、ほんとにやりたい今すぐやりたい!お金貯める!とストレートな願望をマイペースに繰り出している。少し濃いめのメイクをしていてもはっきりわかるピッと張りつめた若さと、遠慮のない笑顔。さっきのはイヤミなんかじゃなさそうだ。(年増の取り越し苦労でしたかね)と心の中で詫びておいた。
ふたりとも可愛いんだから変にいじらない方がいいよ、読みを間違うと大ケガするよ……と思いそうになったが、こういうことは本人にしか分からない気持ちってもんがある。他人の「気にするな」は何の役にも立たない、無責任な言葉だ。
エリちゃんはそういうのないでしょ、かわいいもん、とユイちゃんが言った。全然そんなことないよ、どーにかしたいトコロだらけだよ、と私は苦笑いで答える。
「でも完ッ全にメンタルが耐えられないと思う。情けないけどこの年になっても歯医者さんの麻酔すら怖いし、許されるなら2、3杯飲んで行きたいもん。ぜっったい許されねえけど」
ちょっと大げさなくらい顔をしかめてみせ、けど海外の整形番組とか見るのは好きなんだよねえと言うと、
「うわ、わかる!すっごいわかる〜」
おお、またわかられてしまった。光栄です。
たぶんこの子の「わかる」は、句読点みたいなものなんだろうな。理解できますとか共感してますとかの意味はなくて、何も考えなくても口から出てくるんだろう。
そこまで思って、まるで自分が彼女のことを「何も考えてない子」と軽く見ているかのようで後ろめたくなった。そうじゃない、そうじゃない。私だって、客と話すときにはよくやってる作業だ。正確さは二の次で「わかります」を適宜配置、そうやってエネルギーを節約するの。一緒だよね、それと。
私が美容外科デビューしたのは、彼女たちくらいの年のころだった。
小学校高学年の頃にはすでにサカナみたいカエルみたいといったからかいは定番で、だから自分の目が離れているんだな、という自覚ははっきりとあった。「大人になったら整形する」と思い始めたのはいつからだったろうか。でも、実際にはそんな簡単な話じゃないってじきにわかった。
目頭の皮膚を少し切開して、目頭同士の距離を短くする手術があるにはある。でも、死ぬほど当たり前だけど、好きなだけ切れるわけないし黒目の位置は動かせない。目の錯覚みたいなものだ。結局整形なんて、『〜〜なように見える』を駆使してどうにかこうにか妥協するだけの悪あがきに過ぎないのかもしれない。なにもかも元の顔次第なのかという絶望と、それでも何もしないよりは少しマシかも、という捨てきれない希望。目標を「18になったら死ぬほど働く」に切り替えてその日を待ってはじりじりしてたあのころ。もう、はっきりとは思い出せないあのころ。
「ユイちゃんお仕事入りました、すぐ出れる? 中野の新規。……アンリちゃんごめんね、もうちょっと待っててね」
店長に声をかけられて、ユイちゃん(よかった、合ってた)は支度をして出ていき、わかるのお嬢さんはふぁーいと気のない返事をした。そういう風に言うってことは、やっぱ入り立ての新人さんなんだろな。
「えっと、アンリです。今日からです、よろしくお願いします」
「あっ、エリです。ごめんねちゃんとあいさつしてなくて」
予想外にしっかりと名乗られて、私もあわててあいさつを返した。
「ううん、なんかエリちゃん話しやすいから」
そう言うと、笑顔で私を見ている。業界にも慣れてそうだしコミュ力のある子だな、接客業向きだなあ……なんて思いながらにっこりと見つめ返したが、こんなとき、たとえば強気な厚さのプロテーゼや傷もいとわぬ規模の切開によって華麗なる大変身を遂げた身だったなら「整形ってバレるかも」と気が気じゃなかったりするんだろうか? 他人事のように思った。私がいまへらへらしていられるのは、「見ようによっては多少可愛くもある、少し離れ目の女」どまりだからなのかもしれない。
具体的にどこをどれだけ、どうすればいいのか。道がぱっと開けたのは、なんとくだらないネットの書き込みがきっかけだった。
「○○○(当時の源氏名)厳しいわwなにあの平たい魚類顔w」
「わかるwwwあの顔で喘がれるとギャグでしかない」
もちろんこんなこと書かれて傷つかないわけがない。でも、グッサリやられて血を流しながら、私は「平たい」「喘がれるとギャグ」の意味をついつい深読みしてしまった。つまり私、口元とかもっと全体のこと考えるべきなんじゃないの。目頭切っただけじゃ「すごい離れ目の人」から「そこそこ離れ目の人」になるだけなんじゃないの。そうだよ、誰彼うるさく言ってるバランスが大事ってのはそういうことだよ!!
そうやって最悪のヒントのおかげで、ついにその時は来た。目と眉間、鼻先と口元、それぞれの変化は本当にわずかなものだったけど、私は「見ようによっては多少可愛くもある、少し離れ目の女」となることに成功した。と、思う。たぶん。たぶんね。
結局「たぶん」程度なのだ。時々、なんだか不安になって昔の写真を見返しては、ああやっぱ違うわ、ちゃんと変わったわ、ちょっとだけだけど。と納得することがある。そこに映っているのは20年以上とうとう好きになれなかった顔だけど、(そうだったね、がんばったんだっけね)と思うと、やっと許せるような気持ちになれる。まあ、またしばらくすると普通によくわかんなくなったりすんだけど。
それにしてもこの子、じっと見つめてくる。
え〜どしたの〜、と照れてみせると、アンリちゃんはびっくりすることを言った。
「ふふ、ごめんね、あのね、エリちゃんの顔、すっごい好きだな……と思って見てた!」
「ファッハ」
そんなセリフ、客だってそうそう言わない。似たようなことを言うやつはまあいるにはいるけど、離れ目フェチか下心があるか、無駄な金を払ったと思いたくないために自己催眠を試みているかのどれかに決まっているし、言われた私だってこんな不審全開な声なんか出ない。
「え、変わってるね!? あたしどう見ても魚類顔じゃん」
「何それうける。あたし自分が超絶パーツ寄ってるからかもしんないけど、遠心顔? つうの? すっごい憧れんだよね。あとあの人が大好きなの、シンゴジラの尾頭さん。見た? あとそのお姉さんもっと好き」
尾頭さんの姉など出てきただろうかと一瞬思ってしまった。市川実和子のことか。
「他にも、いいなって思う女優さんだいたいみんなちょっと離れ気味だよ。足立梨花ちゃんとか、安室ちゃんとかきゃりーとか、あっあと玉森裕太、玉森裕太めっちゃ好き」
「待ってごめん、タマモリユータくんの顔がパッと出てこないんだけど検索していい? あと女優枠だいぶ早く終わったよね」
「あっじゃあじゃあ、『玉森裕太 ラボン』で検索して。かわいいから♡」
「はいはいわかりましたよ。……ああこの子か、知ってた知ってた、あーなるほど。てかこの動画すごいな。え、じゃあ星野源はどうなの好きなの? 間違いなく離れ目だと思うけど」
「あっ、んー、それはちょっと別ジャンル」
「やっぱり」
「でも好きだよ!玉森裕太とは違うスキだけど好き」
「別ジャンルの好き」
「そうそう。ねえ三浦大知好きかどうか聞かないの?」
「次に聞こうと思ってましたー。あと染谷将太」
「どんな人だったっけ……あ!この人か!はい好きフツーに好き! なんか髪形によってすごい違うね。この写真とか好きだなあ、てかソメタニさんなんだ、ソメヤさんじゃないんだー」
「アンリちゃん、あなたもはや嫌いな男いない勢いじゃん。心広い」
「あ〜〜〜そうかも、嫌いについてはあんまり考えたことない……いっぱい好きとちょっと好き、とよくわかんない、でだいたい埋まる感じ」
「それめちゃくちゃすごくない?」
タレントの写真を検索しまくってやれこの撮り方がいいだのこの雰囲気ステキだの言っているうちに、いつしか私も、離れ目の魅力ってもんがあるんだわ、と思い始めていた。この私がおかしな話だ。それは長い長い間、自分から可能な限り引き離したい、大嫌いなレッテルだったはずなのに。
楽しそうに画面を覗くアンリちゃんを見ているうちに、
「どこ変えたいの? じゅうぶん美人さんなのに」
つい、そう訊いてしまった。
アンリちゃんは、ちょっと照れたように自分を指差してこう言った。
「あたしはね、この顔になりたいんだ」
わかる? という目をしている。
「いまの、この顔。もう毎日毎日化粧でつくるのだるくって! こっちの顔でいる時間の方が全然長いから、もはや落とすと落ち着かないんだよね。もう、早くこっちを本当にしちゃいたい」
「あー……そうなんだね」
「あの、なりたいっていうのは、なんだろ、あたしのなれる範囲で好きになれるようになりたいってことだから。何言ってんのかわかんないかもしんないけど、だから、あたしのなりたい顔はこんなんだけど、だいぶ違う路線だけど、さっきエリちゃんの顔が好きって言ったの全然ウソじゃないからね。本当だよ」
わかるよ、と私は言った。
彼女の言っていることをじっくりかみ砕いて考えたわけじゃなくて、でも口からすんなり「わかるよ」と出てきた。
玄関の方でドアの閉まる音がした。入ってきたのはユイちゃんと、店のドライバーだ。あれ、さっき出ていったばかりなのに。
ユイちゃんはうつむき、チェンジされたぁ、と言った。聞けば、ジロジロ眺められその場でぐるりと一回転しろと言われ、軽く尻まで揉まれた上で「もっとかわいい子がいいな、チェンジ」と言われたのだそうだ。しかし次の候補として私たちのどちらかが手配されてるわけでもない。
それ、チェンジじゃねえし。はじめっからそのつもりの単なる嫌がらせじゃん。だってうち2回目のチェンジは有料だもんな。クズいことして楽しんでんじゃねーよクズ。
呆れと怒りでクラクラしていると、ドライバーが話しかけてきた。あっれ〜テンチョいないの? やだな〜用事あるときにかぎってどっかで油売ってんだもんな〜。
心なしかヘラヘラしているように感じる。なにひとりでテンション上がってんだ。
そしてドライバーは驚くような発言をした。こともあろうに、ユイちゃんに向かって
「これも経験だよ」
と言い放ったのだ。おい、まじかよ。
「この仕事してたらある程度はしょうがないでしょ。ん〜でも、オレ的に、あくまでオレ的にだよ? そっこまで気にすることもないレベルだと思うよ〜。もちろん3人ともね!!」
なにこいつ。
彼は笑顔だった。それは「優しくフォローしてあげる器の大きな男」の大らかな笑顔に見えた。
見知らぬ客(ですらないけど)に抱いた怒りに、こいつへの怒りも融合してみるみるうちに膨れ上がる。オメー自分の目の幅が何ミリか知ってるか? オメー自分の鼻下の長さ何ミリか言えんのか? いやどうでもいい、パーツの大きさなんか言えなくていいし言えてもホメたりしない。そういうことじゃない、ただ、ただとにかく、ねえもう本当になんなんだよ。
するとアンリちゃんの声がした。
「そ、こ、ま、で、気にしなくていいってことは〜。あれすか、ちっとは気にしたほうがイイよって意味ですかね」
声色はあくまで人懐こいあの調子、でも場の空気がヒュンと固まった。私もハッとした。同時に心がちいさく躍るのを感じた。
あ、すげえ。この子すごいぞ。
「まさかのだけどそうなるね! どうする、じゃあ気にしとく? 多少気にした方がいいってことだもんね?」
かぶせるように私も笑い混じりの声で言った。
「けどさー、気にしたらなんかマシになんのかな? 顔変えるのってだいぶ難しくない?」
「わかる、ぜったい難しい。けどやってみないとわかんなくない? 意外と楽勝とかあるからね世の中。実は秒殺かもしんない」
「それはうける。秒で変わったらうける」
言うせりふは別になんでもよく、適当そのものだった。そしてふたりで適当に笑った。ユイちゃんは私たちを交互に見て、ふふっ、とかすかに微笑んだ。私たちは安心してさらに笑った。本当に楽しくて笑っているような気分にさえなった。
その時カラカラカラ……と音がして、ベランダでタバコを吸っていた店長が入ってきた。
「すいませんねえ、いなくて。で、何。てかちょっとコッチ来て」
よっ、天下一品の地獄耳。
(あいつおこられんじゃね!? やーりィ!)
テンションを隠しきれないヒソヒソ声で、足をぴょんぴょんと跳ねさせ、アンリちゃんが私の膝をリズミカルに叩いた。安っぽいソファーの合皮の表面が安っぽく波打つ。手のひらでぽんぽんするのに合わせて、声を堪えつつも愉快そうに笑っている。
その弾けそうな目元にテラッと光る部分が一瞬だけ、ほんの一瞬だけ見えて、ああ、塗るタイプなんだ、と思った。いや、ファイバーかテープを固定してるノリみたいなやつかもしれないけど。くっきりとしたライン、すごく綺麗に作れている。そうだよね、昨日今日の努力じゃないんだ。
メイクを落としたらどんな顔してるんだろう。この子の本当の顔って、どんな——ううん、違う。
私は彼女の顔が好きだ。それは、この顔だ。私にとってのアンリちゃんは、たったいま見ているこの顔で生きている女の子。眠る時に少し違う顔をしているとしたら、そっちが仮の姿だよ。いつだって、あなたがいちばん好きだと思う顔でいてよ。
コンビニ行くけどなんかいる? 怒ったらおなかすいちゃった、とユイちゃんが言って、じゃあ一緒に行く、と私たちも立ち上がった。体入でこんなありさまではきっとアンリちゃんは本入店しない(方がいいでしょ、絶対)と思うし、私もぼちぼち違う店に移るべきかもしれない。3人で歩くのはこれが最初で最後になる気がした。だったらできればあとで、私もアンリちゃんの顔好きだよってさりげなく言えたら言おうか。ユイちゃんにも。いややっぱ変だな。伝わんないな。夜中の空気は春のくせしてあとほんのちょっとだけどこか冷たい。とりあえずコンビニでなに買おう。